バカって言う人がバカなんだっけ?

バカばっかり、

と思うことがある。そういう言葉を耳にする機会もそれなりにある。

私は、ざっと思い出せる範囲では口に出した記憶はない。

こうして言葉として形にしたのも、もしかしたら初めてかもしれない。

 

私はどうしても私のことしか分からない。

いや、自分のことも分かっているとは言い難いのかもしれないが、とりあえず私でないもののことなど、本当にサッパリぜんぜん分からないのである。

 

見たり、聞いたり、調べたり。

意思疏通の図れそうな相手であれば、会話をしたり。

そうして得た情報を、自分なりに持っている知識や経験に重ね合わせることで、自分にとっての相手を作っていく。

私には私しか分からないため、私の作り上げた相手は、私の中ではどうしても真実になってしまう。違うかもな、という疑いはあれど、それ以外のものに作り替えるのはなかなかどうして至難の業だ。

相手の情報が増えたり、自分の知識や経験が増えたりすることで変化はするが、それには時間が必要で、「今」自分のなかに存在する相手は、ぶれることはあっても決して複数ではない。多分。

 

さて、冒頭の言葉に戻る。

私は上記のようなプロセスを経て、複数の何者かについて、相手がバカであるという判断を下したということだ。

改めて文字にしてみると、なんとまぁ自分勝手で傲慢なことか。

おいそれとその言葉を口にしたり書き出したり出来ないのは、その傲慢さへの罪悪感も大きいのではないだろうか。

 

それでも気持ちは変わらない。バカと思ってしまった以上、現時点ではそう簡単にそれ以外のものにはなり得ないのだから。

ここで使っているバカという言葉は、親愛や冗談からくるものではなく、呆れや怒りや悲しみがつきまとう。そのうえ、罪悪感まで抱え込む羽目になる。

それはとてもじゃないが、気持ちの良いことではない。

 

なるほど。

そんな負の感情を払拭したくて、バカだと思う相手とも関わり続けようとするのかもしれない。時が経ち、情報が増え、経験を積み、私の中の相手が変わることで、自分を楽にしたいと。

単なる八方美人な行動かとも思っていたが、なるほど相手をバカにする自分が苦痛だったのか。まぁ、八方美人であることに変わりはないが。

 

しかし、バカだと思う相手と付き合い続ける苦痛と、相手をバカだと思ってしまう苦痛と…何だこの苦行。

 

そして、そんなことでモヤモヤしている自分の馬鹿馬鹿しさに、また凹むのである。

あーほんと、私も含めて、世の中バカばっかりだわ。

 

それは要らない

要らないなぁ、と思うものがある。

でも、何故か捨てられない。

 

  捨てるのが面倒

  捨てるのが勿体ない

  捨てるのが申し訳ない

  捨てたら不便になるかもしれない

 

思い付く原因は、だいたいこんな感じかな。

ま、面倒が大半か。

そして経験上、捨てて何らかの不都合が生じたことは、まず無い。

なら捨てろよ、と自分で自分に突っ込んでみる。

でもやっぱり行動に移さない。

これを「病気のせいで無気力だから」と諦めていいのかどうか。

 

まぁ、あれだ。

スッパリ諦められるくらいなら、こんなところでグチグチ言い訳なんてしないだろう。

出来ないことを「出来ないからやらない」と心から割りきることができたら。

そっちの方がいくぶん前向きのように思えてならない。

 

家事を思うようにこなすことが出来ない。

お風呂に入ったり、歯を磨いたりするのでさえままならない。

そんな自分自身が情けなくて悲しくて、頭の中がぐちゃぐちゃだったことがある。

今は、気が向くまで極力何もしないようにしている。

出来ないのだからやらない、やりたいと思えたときにやる

そう決めたつもりだったけれど…

 

頑張ることを諦めよう、自分を病気だと認めよう、出来ない自分を許そう

それがこれほど難しいとは。

 

本当に捨てたいものは、自分のなかでガチガチに固まった「理想の自分の姿」なのだろうか。

それとも、それは光であり、道標であり、守るべき最後の砦か。

ならば捨てたいものは何?

 

そして

その答えが見つかった時に、果たして私は

それを躊躇なく手放すことができるのだろうか。

休日の過ごし方

今日は何をしたのか、と聞かれたら…。

睡眠とたばこと食事とインターネット。終わり。

あ、予想外の電話が2件あって、それが少し嫌だった。

 

予定の無い休日は、引きこもる、と決めて行動することが多い。

それは私の中の大きな楽しみだったりする。

前日に、タバコやら飲み物やら食べ物やらを買い込んで。

いつ寝ても起きても食べても、欲望の赴くままにダラダラするのだ。

やらなくてはいけないこと、を思いっきり無視して。

 

薄々感じてはいたのだが、「やらなければいけない」と「規則正しい」がことのほか苦手のようである。

苦手、やりたくない、崩したい。

だけど、憧れる。

やらなくてはいけないことを難なくこなし、規則正しく美しく生活したい。

そうありたいと願っている。

 

でも、そうする努力も気力も無い。

人は自分に都合のよいことを選択している、というのはどこで読んだのだろう?

この、どうしようもないだらけた生活が、私にとって何かしら都合が良いということか。

 

明日は外出の予定が入ってしまった。

人に会わないで済むと安心していたから残念だけれど、本当の引きこもりになれない以上、他者との関係はそう簡単に絶つわけにはいかない。

私は、人の助けなしには、どうあがいても暮らしてなどいけないのだ。

 

せめて、明日はお気に入りの服でも着れたらいいな。

服を選ぶ気力があるといいな。

服を選ぶことが楽しい、ということを思い出せたらいいな。

ホント病名とかどうでもいいんで

はじめて「心療内科」に行ったのは、3年くらい前だったような気がする。

調子はずっと悪かったが、その時はもう駆け込まずにはいられないような精神状態だった。

遠出していたが、付近の精神科・心療内科を検索し、そのまま飛び込んだ。

近場で人目を気にするよりも遠い場所で、という思いもあった。

 

たしか一軒目は断られたのかな?二軒目の心療内科で診察をしてもらえた。

そのときの先生の診断は、たしか「非定型うつ」だったような。

分かったような分からないような、でも「病気と認めてもらい薬をもらった」ということで、多少は落ち着いたような気もする。

そこには半年くらい通った。

正直、問題が解決したようには思わなかったが、ギリギリ仕事も外出も笑顔での人付き合いもできてたから、もういいやって思った。

 

さて、そもそも心療内科に駆け込むほどの症状とはいったい何だったんだろう。

 

やる気が出ない 活字を読む気になれない できれば人に会いたくない、話したくない

音楽を聞く気になれない 作り笑顔にならないために気持ちを無理やり上げる

毎朝おなかを壊し気味である

家事が出来ない(けど、頑張って洗濯だけはする)

お風呂も入れない(けど、頑張って朝にシャワーを浴びる)

寝たい、とにかく寝たい 運転中に我慢が出来ないほどの眠気に襲われる

家にいると動く気すらおきない ご飯を食べるのすら面倒

何かを「やらなければ」と思うと動悸がひどくなり震える

気分としては、悲しいとか不安とか怒りとか恐怖とか、ごちゃっとしていて説明が難しい。泣きそうな状態に似ているような気がする。

とにかく、気持ちも体も重い。

 

覚えているのはこんな感じだろうか。今とあんまり変わんないな・・・。

病院に行くことを考えたのは「運転中の眠気」と、ふとしたときに出てしまう「動悸と震え」が生活を送るうえで障害になり始めたから。

でも、ご近所の目が気になり、どうしても踏み出すことができなかった。

あの日、遠くにでかけたことで、タガが外れたのかな、と思う。

 

あれから約3年。

私は今、別の場所に住み、別の病院に通い、別の先生に、別の病名を付けられている。

適応障害」と「気分変調症」らしいけれど、この診断をもらったのも1年以上前。

今でもそれが続いているのか、何か変化があったのか、聞いたことも聞かされたこともない。

症状は良くなることもあるし、悪くなることもある。

運転中の眠気とおなかの調子だけはほぼ気にならない程度に改善された。原因は分からない。

 

本当のことをいうと、私は今でも自分が病気であることに半信半疑なのだ。

すごく面倒くさがりだから。人見知りだから。怖がりだから。甘えてるから。

元々の性格が酷くなっちゃっただけなんじゃないかな、とか。

頭では、性格が原因であろうとなかろうと、苦痛な症状が続くならそれが病気なんだろうとは考える。

でも、気持ちがついてこない。

不眠症でもない、ご飯も食べられないほどではない、眩暈もないし、動悸だって立ち上がれないようなものじゃない。

リストカットをするわけでもない、自殺願望も特にない。

 

気持ちの調子がずっと悪い。それが原因で体調も多少悪い。

私の中では、それが一番しっくりくるような気がしている。

 

 

 

 

 

 

はじめに

気持ちの調子が悪い。

と書いてはみたものの、具体的に自分が今どうなっちゃっているのか

というのは、いざ聞かれてもなかなか答えられない。

自分の中に「かまってほしくない」と同じくらいの強さで「分かってもらいたい」という思いもある。

でも、説明もできずに分かってもらうのは、さすがに難しいよな、と。

 

自分の状況やら思ったことやらを、箇条書きでもよいから書き留めてみようと思う。

そこから、自分の調子の悪い原因が探れるかもしれないし

原因が分からなくても、少しは他人にマシな説明ができるようになるかもしれない。

何よりも、溜まったものを表に出す作業がしたい。

 

続くのかは分からないけれども、思いつくままにやってみたいと思う。